「分からないからやらない」が、一番もったいない
最近、AIのことを書いたり、
ゲームのことを書いたりしていると、
いろいろな反応をいただきます。
その中で、よく感じることがあります。
それは、「分からないからやらない」という選択です。
実はこれ、わたし自身も昔はよくやっていました。
AIもそうでした。
最初はよく分かりませんでした。
難しそう。
自分には関係なさそう。
使いこなせる気がしない。
そんなふうに思っていました。
ゲーム制作もそうです。
わたしはゲーム好きではありません。
今でも詳しい方ではありません。
だから、ゲームを作る側になるなんて、
考えたこともありませんでした。
でも、今振り返ると思うんです。
一番もったいなかったのは、
できないことではなく、
知らないまま終わることだったなと。
もちろん、全部やる必要はありません。
AIを仕事に使わなくてもいい。
Robloxで遊ばなくてもいい。
ゲーム制作をしなくてもいい。
でも、知ったうえで選ぶのと、
知らないまま避けるのは違います。
わたしが気になっているのは、
いつもそこです。
たとえば、親同士で話していると、
「ゲームばかりやっていて心配」
という話はよく出ます。
でも、そのゲームがどんなものなのかは、
意外と知らないことも多いんですよね。
わたしもそうでした。
だから、少しだけ覗いてみました。
すると、思っていた世界とはずいぶん違いました。
もちろん、危険な部分もあります。
中毒性の高い仕組みもあります。
気をつけた方がいいこともあります。
でも同時に、ものづくりの入り口でもありました。
コミュニケーションの場でもありました。
子どもたちが夢中になる理由も、
少しだけ見えてきました。
もし見ていなかったら、
「ゲームはダメ」で終わっていたと思います。
AIも同じでした。
触る前は、
便利らしい。
難しそう。
その程度でした。
でも、実際に使ってみたら、
想像していたものとは違いました。
できること。
できないこと。
危険なこと。
面白いこと。
全部見えてきました。
だからわたしは、最近こう思っています。
分からないからやらない。
ではなく、
分からないから少し見てみる。
その方が、人生の選択肢は増えるのかもしれません。
実際、この1〜2年のわたしは、
そんなことの繰り返しでした。
AI。
ゲーム制作。
オンラインコミュニティ。
イベント運営。
宇宙イベント。
VR。
最初から詳しかったものは、
ほとんどありません。
むしろ、知らないことだらけでした。
それでも、
少しだけ覗いてみる。
少しだけ話を聞いてみる。
少しだけ参加してみる。
すると、次の景色が見えるようになるんです。
不思議ですよね。
行動力がある人とない人の違いは、
才能ではないのかもしれません。
「分からないからやらない」で終わるか。
「分からないから見てみよう」になるか。
その差なのかもしれません。
子どもたちは、
これからわたしたちが経験したことのない世界を生きていきます。
AIも。
ゲームも。
まだ見ぬ新しい技術も。
だからこそ、
親も全部理解する必要はないけれど、
少しだけ覗いてみる。少しだけ知ろうとしてみる。
その積み重ねが、子どもの選択肢だけでなく、
親自身の選択肢も広げてくれる気がしています。
実はこの1〜2年で、
わたしは200人以上の新しい人と出会っています。
今振り返ると、そのきっかけも全部同じでした。
「分からないからやらない」ではなく、
「分からないから行ってみる」だったんです。
その話は、
また次回書いてみようと思います。
あなたは最近、
「分からないから避けていたこと」ありますか?
それとも、少しだけ覗いてみた世界がありますか?