子どもの「好き」に、親が答えを急がない
子どもがゲームをしている横で、私はつい時計を見てしまいます。
「そろそろ終わりにしたらどうかな」
そう言いたくなる日があります。
宿題は終わったのか。
明日の準備はできているのか。
ずっと画面を見ていて大丈夫なのか。
親として心配になるのは、自然なことだと思います。
時間には限りがあります。
学校もあります。
生活のリズムもあります。
できるだけ子どもの未来につながることに、時間を使ってほしいと思ってしまいます。
でも最近、言葉にする前に少し止まるようになりました。
私自身が、知らない世界を覗き始めたからです。
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ISS×VRイベントの準備を始めてから、宇宙やVR、ゲーム制作に関わる人たちの話を聞く機会が増えました。
最初は、わからないことばかりでした。
VRは楽しそうだけれど、子どもたちにどう届ければいいのか。
ISSシミュレーターはすごいけれど、体験したあとに何が残るのか。
イベントを開くことに、本当に意味があるのか。
不安になりながらも、少しずつ人に会って、話を聞いて、触れてみました。
すると、外から見ているだけではわからなかった面白さが見えてきました。
技術そのものよりも、
そこにいる人たちが何に夢中になっているのか。
何を作りたいと思っているのか。
どんな未来を見ているのか。
そういうものに触れたとき、初めて「これは子どもたちにも見せたい」と思えました。
外から見れば、ただVRを触っているだけに見えるかもしれません。
でも、その中には、まだ言葉になっていない興味や、未来につながる小さな種があるのかもしれません。
子どもがゲームに夢中になっている時間も、少し似ているのではないかと思うようになりました。
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大人は、子どもの「好き」にすぐ意味をつけたくなります。
「それは将来役に立つのかな」
「習い事にした方がいいかな」
「もっと伸ばしてあげた方がいいかな」
応援したいからこそ、先のことを考えてしまうのですよね。
ただ、子ども自身はまだ途中です。
ゲームが好きなのか。
ゲームの中で建物を作ることが好きなのか。
友だちと協力することが好きなのか。
キャラクターの世界観が好きなのか。
動画を見ることが好きなのか。
動画を作る側に回りたいのか。
まだ本人にもわからないことが多いはずです。
その途中にいる子どもに、親が早く答えを渡しすぎると、「好き」が親の期待に変わってしまうことがあります。
「せっかく始めたのだから続けなさい」
「将来のために頑張りなさい」
そんな言葉が増えると、子どもは自分のためではなく、親をがっかりさせないために続けるようになるかもしれません。
それは少し寂しいです。
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もちろん、何でも自由にさせればいいとは思っていません。
時間のルールも必要です。
課金や、知らない人とのやりとりについても、親が見ておく必要があります。
ただ、ルールを作る前に聞けることがあります。
「何がそんなにおもしろいの?」
「どこが好きなの?」
「次は何をやってみたいの?」
この問いがあるだけで、親は評価する側ではなく、一緒に知ろうとする側に立てます。
子どもも、自分の好きなものを否定されずに話せます。
そこから、親子でルールを考えることもできます。
どうすれば安心して続けられるか。
どこまでなら楽しめるか。
何を大切にしたいか。
禁止する前に、一緒に覗いてみる。
結論を急ぐ前に、少し話を聞いてみる。
その順番を大切にしたいです。
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子どもの「好き」は、すぐに将来の職業につながらなくてもいいと思います。
役に立つかどうかがわからない時間も、その子の中には残っていくはずです。
夢中になって調べること。
誰かに話したくなること。
自分なりに工夫してみること。
うまくいかなくても、もう一度やってみること。
こういう力は、テストの点数だけでは見えにくいです。
でも、これからの時代に必要になる力かもしれません。
私自身も、まだわからないことだらけです。
AIも。
VRも。
宇宙も。
子どもたちがこれから出会う世界には、知らないことがたくさんあります。
だからこそ、親が全部答えられなくてもいいのだと思います。
「わからないけれど、一緒に見てみよう」
そう言える大人でいたいです。
子どもの「好き」に、親の答えを急いで乗せない。
その余白があることで、子どもは自分の興味を、自分の言葉で育てていけるのかもしれません。